想いを言葉に変換するための備忘録

学んだこと、知ったことを嚙み砕いて自分の中に吸収し、自分の想いや意見へと変換するための手段となるブログ

多面体

 

今日、友人に言われたこと

「Ayumiってキラキラしてるように見えるのに

インスタでは溜め込んでる想い吐き出してるの

だいぶギャップあるよね!良い意味で」

 

まず私がキラキラして見えていたことにびっくりではあるけれども

おそらく私がSNSで吐き出すで言葉は一番核となる自分な気がする

 

基本的に口が悪く、どす黒い心を持って吐き出す言葉の数々は

我ながら良い表現出来たな、と自画自賛したりもする

 

そのようなギャップを感じさせる原因も

自分が”超絶八方美人”だからということも理由の1つかもしれない

 

基本的に私はいつも相手に合わせて自分のテンションや

キャラクターを若干変えて接している

 

まあ多分、私だけでなくほとんどの人は

そのような擬態した姿でコミュニケーションを図るのだと思うが

 

しかし、私はおそらく他の人以上にその擬態が上手いのだと思う

擬態のように見せかけ、ただ見せる側面を変えているだけの多面体なのである

 

自分の様々な側面を生み出した姿を、私は多面体と表現する

これは、高校の時の友人が使っていた表現だ

 

ちなみに私の表現はほぼほぼ「すでにあるもの」を

再利用して、組み合わせて、カスタマイズしたものだ

オリジナリティは基本的に存在しない

0→1は苦手であるが、1×1は大の得意である

 

まあそんな多面体の私だからこそ、ある一面しか知らなかった人からすれば、

「えっ??今まで関わってた感じのAyumiじゃなくない???」

となってしまうのは当たり前なのだ。

 

もちろんいくつかの私の側面を知っているような友人も存在するが、

自分もすべての自分の側面を把握しきれていないから

結局自分が何者なのか分からなくなってしまう

 

どの側面の自分も自分であることには変わりない

多面体であることは決して悪いことばかりでないことも自覚している

その時分を受け入れて24歳まで生きてきた

 

今日はただ、そんな多面体な自分の存在を改めて確認して

多分そんな多面体な自分のことが私は好きなんだろうな、と

思ったため、約2年ぶりにこのブログを開いてみた

 

また数年後にブログを開いた時に、自分の文章能力の無さに

1人恥ずかしくなる姿が想像出来る

 

その頃の自分が何をしているのかはまだ想像出来ないが、

いつかこの記事を見返した時にも、多面体な自分を

愛することが出来ていれば24歳の私は嬉しく思う